この奇説は脳科学者のアンデシュ=ハンセンの著作「多動脳」に載っていて参考文献もちゃんと記されてます。ガキのころADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder)と診断されたことがあるんでちょっと興味が湧いて調べてみました。
www.shinchosha.co.jp
ちなみに私は自分の属性が変なカタカナ語やアルファベットだったりするのがなんか気に食わないんで、以降ADHDは「多動症」と書かせていただきます。個人的に「多動症」という名称もなんか気に食わないんで、脳科学に即したもっと客観的な名称になったらいいなあ〜と思ってるんですが。
それはさておき、ここでまずこの奇説の大前提となる変な脳科学・遺伝学の用語と基礎知識を整理しときます。人間の脳にはドーパミンという神経伝達物質が存在するのですが、これは主に「報酬系」という連合学習や快感を核とする感情を生み出す脳神経回路に関わっています。まどろっこしい脳科学用語では、これを「誘因顕著性(英語版)(すなわち、「欲しい」という気持ち、報酬への欲望や渇望、および動機づけ)、連合学習(主に正の強化および古典的条件づけ)、そして正の感情価をもつ感情、特に快感を核とする感情(例えば、喜び、多幸感、エクスタシー)に関与する神経構造群である」と表現しています。
ja.m.wikipedia.org
報酬系にはドーパミン作動製ニューロンという文字通りの脳細胞があるんですが、この脳細胞が作動するにはドーパミン受容体D4(Dopamin Recepter D4、DRD4)というタンパク質がドーパミンと結合する必要があります。このドーパミン受容体は他の人間のタンパク質と同様遺伝子=核酸からのタンパク質生合成によって生成されるので、核酸上にはこのDRD4と対になるエクソンがあるということになります。
詳しいことはよくわからないんですが、DRD4が変異して7回の繰り返しの配列となっている場合(DRD4-7R)があるようです。このような遺伝配列となっているとドーパミン受容体にも変異が起こり、よりドーパミンに反応しにくくなるドーパミン受容体が生成されるそうです。
DRD4、もしくはDRD4-7Rは第11染色体に含まれてるらしいんですが、少なくとも両親がこの遺伝子を持っているかあるいは突然変異でこういう配列になるかでDRD4-7Rをもつ人になる可能性があるってことでしょう。
全ての多動症者がDRD4-7Rを持っているわけではありませんが、多動症者はこうしたドーパミン受容体・もしくは脳の報酬系に関わる遺伝子を持つケースが多いというのが明らかになっています。多動症と有意に関係のあるドーパミン受容体・報酬系に関わる遺伝子としてはDRD4-7Rとその他4つの遺伝配列が、また視床下部の形成に関わる遺伝子としてPTCHD1という遺伝子が紹介されています。
アンデシュ=ハンセンが特に注目しているのがDRD4-7Rで、ここではDRD4-7Rを持つ人は多動症が有意に多いという統計学的な事実に加え多動症者は過食症・拒食症、セックス依存症、ゲーム依存症を併発するリスクが通常者よりも高いという事例が紹介されています。まあこういう活動がドーパミンとなんか関係ある活動だからってことでしょう。N=1の調査ですが、実際私はコーヒー中毒で萌え系のキャラが大好きで(笑)ゲーム中毒で…という多動症者の「リスク」とされる事例にだいぶ当てはまってる感があります。アンデシュ=ハンセンの本とは別件ですが、ドーパミンが関わってるからなのか自閉症者や多動症者はギャンブル中毒になりやすいというのもあるようです。
#読書 「背表紙が笑えたから」というふざけた理由で買った「ギャンブル脳」、神経発達症とギャンブル中毒の関係が載ってて「へぇ〜こっちもかぁ」と。やはりドーパミン受容体が関係してんだろうか。 ソシャゲ中毒でゲーム中毒+ちょっとアレがある私がギャンブル中毒にはならなかったのって奇跡的っすね😂
— ニム (@nymnwales.bsky.social) 2025-09-27T06:38:05.974Z
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DRD4-7Rで狩猟に適した脳になる・より遠くに行きたがる?
ドーパミンと直接関係ありそうな事例の他にも、DRD4-7Rと人類学的な調査という変わった事例が挙げられています。N=3000ほどの北ケニアのアリアール族を対象にした調査では、狩猟民のアリアール族はDRD4-7Rを持つ人ほど栄養状態が良い、逆に農耕民のアリアール族はDRD4-7Rを持つ人ほど栄養状態が悪いということが明らかになってます。正直ドーパミン受容体と狩猟・農耕の関係はよくわからないんですが、巡り巡ってDRD4-7Rは狩猟に適した脳を作り出すってことなんでしょう。
もう1つの面白い事例は、N=2000の調査によるとDRD4-7Rを持つ人はホモ=サピエンスが誕生されたとされる東アフリカからより遠くに分布しているということです。実際南米人の約50-70%はDRD4-7Rを持っています。DRD4-7Rは、数世代をかけてホモ=サピエンスを遠くに移動させるのに適した遺伝子ということなのかもしれません。
ちなみに中国人でかつ多動症だという人にはDRD4-7RよりもDRD4-2Rという遺伝子を持つ人が多く、こちらもより「鈍い」ドーパミン受容体を作り出すそうです。日本人で多動症であるという人も多分似たような遺伝子を持ってるんでしょう。
DRD4-7Rを持つ人は政治的思想が左派的=リベラルになる?
DRD4-7Rが直接関係しそうな事例としてドーパミン受容体と多動症との関係・人類学的な調査に関しては「まあ、脳がそうなってるとそういうところに現れるのかねぇ」と納得したんですが、1つ個人的に腑に落ちない珍説が「多動脳」には紹介されています。これはN=1771の調査でDRD4-7Rを持つ人は左派的=リベラル的な政党に投票する人の割合が多かったというものです。この論拠となる論文が「Association between the dopamine D4 receptor gene exon III variable number of tandem repeats and political attitudes in female Han Chinese」らしいんですが、こちらはカネ払わないと見れないみたいなんでアブストラクトのみを読み、もう1つの「Friendships Moderate an Association Between a Dopamine Gene Variant and Political Ideology」は無料で読めるんで一応通しで確認しときました。
「Association between the dopamine D4 receptor gene exon III variable number of tandem repeats and political attitudes in female Han Chinese」
https://royalsocietypublishing.org/doi/full/10.1098/rspb.2015.1360
この論文のアブストラクトを読んだ限りではN数が1771と統計学的な根拠とするには十分な信頼水準の調査が行われていると言えます。しかし調査対象が「シンガポール在住の漢民族の女性の大学生」となっており、この論文から読み取れるのは「シンガポール在住の漢民族の女性で、かつエクソンにDRD4-7Rを持つ人はシンガポール在住の漢民族の女性でかつエクソンにDRD4-7Rを持たない人よりもリベラル政党に投票する割合が統計的に有意に高い」ということだけです。私はシンガポール政治に関して詳しく知りませんし、また調査対象が漢民族の女性で大学生でシンガポール人という限られた集団のみとなっていますのでこれを持って「DRD4-7Rを持つ人は政治的思想が左派的=リベラルになる、それも世界中の全員が」ということはできないでしょう。
まあDRD4-7Rによって生じる脳の変化がこういう結果としてシンガポールの政治に影響を及ぼす可能性がある、っていうのはDRD4-7Rによって狩猟に適した脳になる・より遠くに行きたがるという人類学的な調査と同じくらいに学術的価値のある情報であると言えるでしょう。
「Friendships Moderate an Association Between a Dopamine Gene Variant and Political Ideology」
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3265335/
こちらの調査ではアメリカ・イギリス・オーストラリアの人らを対象にN数=1941の調査で線形重回帰モデルを利用して回帰係数とp値を割り出す、という手法で政治的思想とDRD4-7Rとの関係を論じています。この論文では保守派の思想を仮に2、リベラル派の思想を仮に4として数値化し非血縁者で家族のDRD4-7Rの有無、血縁者で家族のDRD4-7Rの有無、友人の数、年齢、性別、血縁者で家族のDRD4-7Rの有無と友人の数を掛けた値の6点の回帰係数・p値を算出しています。

統計的仮設検定においてはたいてい場合0.05を有意水準としp値が0.05を下回れば「ああ、これは偶然の一致じゃなくてなんか関係がありそうだね」という有意性の判定を行うのですが、この基準で言うなら「すご〜く僅かだけども、血縁者で家族のDRD4-7Rの有無と友人の数を掛けた値がちょこっと高いと少しだけリベラルっぽくなる」という傾向があるのは確かなようです。
また有意性の判定という観点からはビミョ〜ですが、単体で見ればむしろDRD4-7Rの存在はすご〜く僅かだけれども調査された人を保守っぽくしている傾向があります。また性別が男性でも少しだけ保守っぽくなるようです。
統計的にほぼ確実であると言えるのはDRD4-7Rを持つ人が保守かリベラルになるかはその人の友人の数も関係していて、多いとリベラルっぽく・少ないと保守っぽくなるということのようです。一方DRD4-7Rを持たない人は友人の数が政治的思想と関係するという傾向が全くないようなので、どちらかっていうとDRD4-7R単体が政治的思想に影響するというよりかはその人間関係もセットで政治的思想に何かしらの影響を及ぼすということでしょう。個人的な感想ですが、これは私の直感に大体合致するかなと思ったんでDRD4-7Rの有無と政治的思想を論じるものとしては甚く納得しました。
つーわけで「多動症のエクソン遺伝子(DRD4-7R)があるとリベラル政党に投票しやすくなる」という奇説は「シンガポールの学生らに調査対象を絞るか、あるいは友人が多い陽キャのDRD4-7R保有者に限って言えば大体当てはまっている。DRD4-7Rの有無とその人間関係がセットで政治的思想に何かしらの影響を及ぼすというのは統計学的にはほぼ確実。詳しくはもっと調べてみないとよく分かんない」というのが結論です。いや〜こんなクソ真面目に本を読んだのは卒論の時以来、あるいはとある大学のゼミに物申した時以来だったんで面白かったですね。